10. 戦争という危機
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1. 戦争と心理学
とはいえ、一旦暴力的出来事が生じると、その残酷さは増すばかりであり、戦争の犠牲となる人々の数は増加している
こうした、多くの死者を出す暴力的出来事は、人類が「もともと」暴力的なものであるという悲観的な観念に助けられて、人類文明に対する殺伐とした見方をもたらし、暴力と戦争は不可避であるという信念を、人に抱かせてしまう(e.g. Allport, 1950) 1-1. 心理学が戦争に応用された例
テスト開発以外にも、航空機乗組員選抜、仕分けおよび訓練の全てに責任を持つものに拡大された
さらにストレスが行動に及ぼす影響や、航空機の安全を高めるための、ディスプレーや操縦器具のデザインに関する研究も行っている 同様の研究は、第二次世界大戦後日本でも行われ、心理学実験隊が組織されていた
アメリカ軍による「心理学的操作」(PSYOPS)が大いに利用され、敵が合衆国の目的にとって有利と成る振る舞いをするよう、相手を誘導するのに利用された つまり、敵を自発的に武装解除させるために、30億枚以上のチラシ、ラジオやテレビによる宣伝、スピーカーによる伝達を行った
PSYOPSは、例えば、湾岸戦争時にクウェート領有を行ったイラク軍に対して、空からチラシをまくなど、ベトナム戦争以来ほとんどすべての軍事活動の中で役割を果たしてきた チラシではイラク兵たちに、投降の仕方と、投降しなかった場合の結果を明らかに示すことで諦めるよう強く勧めた
だが、こうした研究は、戦争は不可避的なものという考え方を前提としていると考えられる
1-2. 本当に戦争は不可避なのか?
富の蓄積が始まり、人が組織化され、序列化されたこと、農具として開発されたはずの鉄器が普及して、これが武器としての役割を果たすようになったことがその背景として考えられる 人類はその誕生の時から一貫して戦っていたわけではないのであり、戦争が人類という種に固有の、抜き難い得失ではないのかもしれないと考えたくなる
1945年11月16日 UNESCO憲章の前文「戦争は人の心の中で始まるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かねばならない」 戦争は、たしかに政治的駆け引きの挙げ句に起こるものであり、政治力学の上から、あるいは歴史学的に研究する必要のあるテーマであることは言うまでもない
しかし、「人の心の中で始まる」ものであるとしたら、心理学のテーマでもなければならないはず
最近になって平和心理学を構築しようとする動きが活発化してきた たとえ理想主義だと揶揄されようとも、「人類にとって、戦争は不可避」ではないとする前提で、戦争の起こるメカニズムを心理学的に解明しようとしたり、戦争の抑止あるいは当事者同士の和解を目指す、さまざまな取り組み
そもそも、戦争の危機に直面している国では、戦争の不可避性の信念そのものが、戦争の起こりやすさを助長しているともいえる
戦争の可能性が高まったように見えてくると、和平会談や市民の戦争反対運動の高まりよりは、軍事力の増強を望む傾向が強くなる
そうした戦争へのレディネスはまた、紛争を非暴力的に解決するために戦争以外の方法を探る努力をするよりは、紛争の規模拡大につながるような戦略を用いやすくなる傾向を強める
戦争に対するレディネスはまた、他集団に不信感を抱いていると、その人々が自分たちに肯定的な意図を持っているかもしれないという可能性を考えようとしなくなる(Kramer, 2004) つまり、ある国がたとえ防衛のためにしても軍事力を強めれば、他の国々は攻撃の意図を推測し、攻撃的に反応してしまうかもしれないということ(Herz, 1950) だから戦争は不可避という概念と、それに付随する戦争に対するレディネスは、暴力を拡大させ、平和を持続させる機会を減少させるような反応を喚起することになるかもしれない
2. 脅威という名の紛争促進剤
相手に脅威を与えようとして示す脅しは、集団感紛争を「冷戦」から本格的な戦争へと拡大させるのに主要な役割を果たす 一般に他集団は、自集団より強くて恐ろしげに見える
例えば、自分たちの財産や生活や資源を脅かし、紛争の中では、自分たちの安全や存在自体をも脅かすに違いないと人は信じやすい
人はまた、外集団が違う文化あるいは信念体系を持ち、同時に違う伝統や道徳基準を持っており、それらすべて、自分たちの集団の文化を蔑ろにするものであり、自分たちの脅威になるだろうと考えるかもしれない こうした脅威の感覚はまた、相手に対しる偏見、自民族中心主義、極端な外国人嫌いなどを生み出す より重要なのは、集団間紛争の中では、脅威は多くの人々を、政治的に不寛容にし、外集団に対してより懲罰的に対応することを求めたり、攻撃や暴力を用いるよう求め、外集団に対する攻撃的な報復的政策を支持するようになること
当然ながら、同じことは紛争の相手側集団にも生じている
こうした脅威の感覚の否定的な影響は、集団への一体感が強い人々に特に顕著
人は、自己のイメージの一部を、自分の属する集団から引き出して(Tajfel & Turner, 1979)いるが、その度合が強いほど、自分の集団の繁栄を守ろうとする気持ちが強く、また自分たちの集団の肯定的で明確なイメージを保持しようとしやすい 自分の所属集団への一体感の強い人ほど、状況を自分の集団にとって脅威と解釈しやすく、また、一旦ことが起こると、その脅威に対してより強く反撃しやすい
集団との一体感は盲目的な愛国心や国家主義、そして自分の内集団に対する愛着と称賛として現れたり、また内集団の優越性を信じ、内集団の規範と権威に服従しようとする こうした集団との一体感が、特に人々を驚異に対して攻撃的に反応させやすく、またこうした攻撃性を正当化したがる傾向を、研究は示している
脅威の感覚を生み、増大させるもう1つの要素として不確かさがある 不確かさはしばしば、集団間紛争の間に増幅され、安心と安全を求め、この状態を減じたいという強い動機を促す
国家レベルでは、国の軍備を増強させることで不安感を減少させようと試みるだろうし、個人のレベルでは、自分たちを集団と提携させることで、不確かさの感覚を軽減させようとする(Hogg, 2007) しかし、これは硬直した態度と了見の狭さを増加させ、過激な集団や行動を支持し、外集団を貶め、集団間闘争を拡大させる
民族大虐殺やテロを含む、多くの異なる形の集団間暴力の背景には、この不確かさが関与していると考えられる
暴力的紛争に晒されると、人は強い感情を感じる
紛争によって引き起こされた感情は、腹立たしい出来事についてより詳しく知るようになるにつれ、またメディアや指導者たちが、その出来事に対する公的理解や反応を形成するにつれ、ますます増幅されていく
一旦紛争が始まってしまうと、怒りは暴力を支持しそれを増強させる主要な役割を果たすことになる
紛争に巻き込まれた集団は、集団的な恐怖の姿勢を取るようになり、この恐怖姿勢が、自分たちに脅威を与える外集団に対して敵意に満ちた偏見を促進する
憎むべき外集団に対して簿応力を振るうことは、不道徳なことではないという信念へと変化してしまって、内集団と外集団を善と悪とで表現する段階へと進むと、それらの道徳化された信念が、紛争を継続させてしまうかもしれない
外集団に対する暴力行為を道徳的なことと解釈し、暴力を正当化してしまう
そこでは、外集団の人々を人間以下とみなす、あるいは人でなし(人間性抹殺)と見做す過程が含まれている 相手の持つ人間に特有の特性(知能、感情など)あるいは人間性(暖かさ、自由意志)を否認することで、外集団の人々を動物あるいは物になぞらえ、結果として道徳的懸念の必要な対象から除外してしまう 外集団である敵に対する暴力が肯定的に道徳化されると、そこでの破壊行為は、内集団にとって、外集団に対する暴力行為を行うことそれ自体が道徳的使命に基づいた行為であり、それ自体が目的化されてしまうこともある
この過程は、暴力を非難する道徳的原理(害、公正さ、正義など)を強調せず、その代わりに、暴力を命じる基盤となるのに利用できそうな原理(忠誠心、権威など)を強調する 前者の種類の道徳的原理は暴力を否定するのに対して、後者の種類の道徳原理は、外集団より内集団の降伏や利益を優先し、内集団の権威に服従することを要求するので、暴力を肯定することになる
3. 紛争抑止、平和促進のための方策
平和心理学では、暴力を抑止し、平和維持に貢献すると思われる2つの要素が提案されている
内集団を批判的に評価できる能力を増強させる要因
ただし、こうした方策が功を奏するためには、人々の生命が直接的に脅かされていないなど、精神的に余裕のある状態にあることが前提条件
こうした状態でなければ、人は出来事に防衛的に、自己防御的に反応しやすく、他社に対して攻撃的に振る舞い、自分たちのイメージや財産を守ろうとするだろう
「もしあなた方が、あなたの敵との間に和平を求めるなら、あなたの敵とともに働きなさい。そうすれば、彼はあなたのパートナーになるでしょう」(Mandela, 1995) 同様の効果は他の国々でも数多く見いだされている
ここでいう接触は、経験を共有し助け合うことで、お互いに共感し合える関係を築くことであって、単に居住地が近いというだけで達成されるものではない
集団間の直接ではなくても、メディアを通じて間接的に外集団の視点取得や共感の育成を行った研究もある
1994年に人口の10%が殺される市民戦争によって、2つの民族が引き裂かれた
10年後に、オランダの非政府組織が、教育と娯楽を組み合わせたラジオドラマを作成し、ルワンダでの両民族の和解を計画した
物語のストーリーには、集団間暴力の起原や予防についての情報や、和解の話題が盛り込まれていた
ドラマを聞いた群の人々は他集団に対してより大きな共感性を示し、暴力のトラウマ的影響に気づき、若い活動のために他集団の成員とより多くやり取りをした
しかし、紛争が暴力的になったとき、外集団に対する理解と共感は、たちまち消滅させられやすい
暴力の連鎖を断ち切るためには、紛争の当事者双方が、内集団とその行動に対する批判的評価を行う必要がある
内集団に向けられた、恥、怒りおよび道徳的憤慨は、紛争に巻き込まれた時の内集団に対する批判的評価の中で重要な役割を果たす 人々が内集団の行為を不正であると認識し始めた時、支配的な感情反応は恥 人々はまた、集団としての罪悪感を経験するかもしれない
内集団が外集団に対して不道徳な行為を行ったことに注意を向け、また自分たちの内集団が違法に他の集団に対して搾取、差別あるいは虐待を通して、相手に損害を与えたことを知覚することで生じた、緊張と良心の呵責という苦痛に満ちた感情が含まれている
だが現在までのところ、個々人の心にこうした感情が芽生えたとしても、それが大きなうねりとなって紛争の抑止、外集団との若いへと結びついたという事例は残念ながら聞かない